日出国プロジェクト

提供:Tanukipedia
Sim Country 日出国から転送)

日出国プロジェクト(ひじこく-)とは、架空都市「多奈崎市」や、それの属する架空国家である日出国を描いた、地図・関連資料・計画やグッズの総称。

主にRanoによって制作される(詳細後述)。

概要

現実的な架空の都市「多奈崎市」や架空国家「日出国」を多角的に表現する企画である。

「多奈崎市」の1万分の1詳細都市地図を基本に、Wikipedia風記事(当サイト「Tanukipedia」が該当)、架空創作物(商業施設のフロアガイド、雑誌、交通系ICカード、実物ノベルティグッズなど、架空世界の様子が反映され且つ身の回りに存在する物が中心)を多数創作し、「生きた」街としての存在感に重点を置いた捜索が行われている。2019年2月現在、本プロジェクトの作品が体系的に纏められたウェブサイト「空想都市・多奈崎」は、日出国の中でも多奈崎市を前面に押し出した構成がなされており、国内の他の都市に関しての掲載は考えられていない。

作者のRanoは、物心がついた頃から散発的に空想地図やそれに準ずるものを作っていたが、それら地図作品群として初めてインターネット上で体系的な公開がなされたのが本作品である。すなわち、自分で描き自分で受容・消費するという形を前提としていたそれまでの空想地図とは対照的に、作品としての空想地図の"閲覧者"の存在を想定したRano自身の初めての作品と言える。

2013年に「Sim Country 日出国」と題してウェブでの公開が開始され、その後本作品の総称として「日出国プロジェクト」又は「日出国」といった名称が半ば便宜的に定められた。但し2019年2月現在では、国よりも一つの都市「多奈崎市」の製作に重きが置かれており、作者自身が「日出国」というネーミングに関して疑問を抱いている節もあり、2019年7月の段階ではRano制作の空想地図作品の総称として「多奈崎市」の方が高い頻度で使われる傾向にある。

また「マニアフェスタ」などイベント出展が行われるようになった2019年ごろからは、「多奈崎市にあるアートアンドカフェスペース」という設定の施設である『タナザキテ』のtwitterアカウントが開設され、以降はリアルでの活動に関してもこの名義が使われることがある。

世界観について

本作の舞台である「日出国」は、地球ではないどこか(具体的に想定するのであればある架空の惑星)に存在する架空の国家で、日本と酷似した歴史を歩み、日本と酷似した文化・言語・時代背景等を持つ日本と酷似した世界が広がっているという想定である。人口推移や経済発展などの経時的な変化に関しても日本と概ね連動していることを前提として製作されている。

「日本と何もかも酷似している」という点については、本プロジェクトの根幹の趣旨が「現実には存在しないが、実際にありそうな都市」を表現するというものであり、作者自身が「受け手の想定する"ありそう"な都市・世界の姿=日本の都市・世界の最大公約数的なもの」と考えているが故のものであり、必ずしも「日本と類似する」という点が目的として製作されている訳ではない。

作者の立ち位置

「創造主」や「市長」、「総理大臣」のようなその世界に直接的な影響を及ぼせる存在では無いとされる。

空想地図「日出国」の製作はあくまでも実際にありそうな街を表現するところにある。故に「日出国」は、作者自身の理想を投影する場所にはなっておらず、そもそも作者自身が街に関与すること自体を好んでいない(街に影響力を持つということが、街がある程度は作者自身の思い通りに動き、形作られてしまうことを意味する為)。そもそも本作の誕生した経緯が、おおよそ実際の街の地図を見るのが好きだった作者が、街の地図という「需要」を実際の街のものに飽き足らず自分で供給しようとしたことに始まっており、街に携わる多くの利害関係者により長い年月をかけて形作られてきた(=「一人の理想」的な街ではない)ものがほとんどである日本の街を(実際の地図を通して)見てきたRanoにとって、親しみが持てる対象がそのような「現実的」な街だったため、作者の理想とは離れた街の姿を描き出すことが意識的に行われている。

但し、現実問題として実際に地図を描き、地図に描かれる世界を生み出しているのが作者自身である以上、明確に立ち位置を定義すると様々な矛盾や不都合な点が生ずる為、厳密な「作者という存在の立ち位置」は定められていない。

歴史

作品設定としての「日出」の歴史ではなく、この空想地図制作にあたる歴史である。

制作史

「日出国」プロジェクトは、前述の通りRano制作の地図、および関連作品群としては初めてインターネット上に公開されたものである。

本プロジェクト以前にも個人的な地図の制作はなされてきたが、いずれも個人的なもので終わるものが殆どであった。僅かながらネット上に公開された物もあるが、継続的な管理が及ばず現在ではいずれも放置されている。

なお以下では制作の段階に応じて第n期という形で分類しているが、これは本ページにおいて制作史を説明するにあたり便宜的に分けたものである。 作業環境については、最初期〜第3.5期までが初代PC(SONY VPCJ-138)、第4期が2代目PC(FMV Lifebook AH42-G)、第5期が3代目PC(MacBook Pro 2016)、第6期は4代目PC(MacBook Pro 2020)での制作になる。

制作最初期(2012年8月~2012年10月)

2012年8月下旬、制作者であるRano(以前はWikata→いばらのを名乗っていた)が、インターネット上に新たに空想地図を計画的に掲載することを決定。それまでにもいくつか空想地図のようなものは描いていたものの、いずれも単発のものであり、国単位で計画して描いて行くという方法はこの時初めて採られたものである。当時、九州への旅行を経験したばかりであり、それが新しい地図の制作に影響したと言われている。それまで制作してきた空想地図でも、複数都道府県に跨る制作がなされてきたことはあったが、国に関する設定は曖昧なものが多く、存在するテナントも実在するものと架空の物が混在したものであった。(架空のショッピングセンターの隣に実在のSCである「パルコ」が存在するなど)

「日出国」ではそれら曖昧さを取り払い、作れるものはすべて1から作る方針のもと国の名前からコンビニのテナント名まですべてを創作することとした。これにより少なくとも「現実の地名やテナントと架空のそれらが入り乱れる」といった懸念は全て排することとなる。また「日出国」が、今まで制作してきた地図と異なりインターネット上に作品として公開するという要素があったことから、Rano個人のさじ加減で許容してきた御都合主義(例えば前述の「現実と架空が入り乱れる」ような状態)が許されにくい状況になったことや、実際の固有名詞や商標の利用に際して権利関係の問題が生じる可能性があるということも大いに影響した。

同年9月、東日地方南部(多奈崎市とその周辺)から手書きによる広域的な下書きが開始された。当時手書き図の縮尺は30万分の1だったが、この縮尺は深い意味のあるものではなかった。当時はまだ日出国の全体像についての設定がかなりあやふやであり、それより前に見切り発車的に一つの街を描き始めた形である。この頃つけられた設定(地名や自治体境)はその後の設定見直しによって変更されたものが多く、例えば多奈崎市周辺には当初4つあった市が現在はすべて多奈崎市に統合されている。

同年9月23日未明、下書き図はスキャンされ、PC上でのトレース作業が開始された[1]。この頃はAdobe PhotoshopElementsを使用したラスタデータでのトレースであった。このPC上での制作は中学校等で配布される地形図に似た形式のもので、都市名はあるものの市町村境は描かれていないものであった。9月23日未明には東日地方南部が完成し、twitterにて公開された。また同日午後にはトレースのやり直しが行われ、現在の大積県ほぼ全体を網羅したものが制作された。ただしこの頃大積県という名称は決定されていない。また現在同県の主要都市として名を連ねる月沼市に至っては登場すらしておらず、現在月沼市に該当する場所は主要幹線から離れた山奥の寒村とされていた。

9月26日、大積県という名称が決定し地図上に登場する[2]。また同時に大積県の北に橋塚県という県が名前を表すが、その後長海県と橋塚県に分割され、橋塚県は荘賀県に名を改めることとなる。9月28日には大積県の全市町村の区分けが確定した。当時の大積県は11市29町1村を有していたが、平成の大合併(に相当する市町村削減策)が採られたにしては比重が不自然であるとの事からその後幾度となく変更が行われ、最終的に現在の形に落ち着いた。この最初の区分け確定から現在まで市名・境界に一度も変更が加えられていない街は存在しない。

9月30日には多奈崎市中心部を描いた都市地図の試作が始まる。これもPhotoshop Elementsで制作され、JPGイメージに変換したものがTwitterで公開された[3]

上記の詳細都市地図を描くにあたり、ファストフードやコンビニなど詳細地図に登場する施設のテナント名等が必要となり、いくつかの名前が考案された。ただし、本作の製作が開始された当初は「現実にある名前を少し改変した(いわゆる"もじった")」ような店名・施設名のつけ方が多く行われていた(例:「モスバーガー」を基にした「モズバーガー」、「ダイエー」を基にした「ダイケー」、九州のスーパー「マルショク」を基にした「イマショク」等。)が、地図の製作が進むにつれ、そのようなネーミング方法はむしろ避けられるようになってきており、この頃につけられた店舗名はほとんどが後に"お蔵入り"する結果となった(「珠屋百貨店」と「キューブスクエア」などの例外もある)。

店名のみならず、そもそもこの頃は作者自身が街に関する経験をあまり持っていなかったということもあり、後から現実性が無いことが問題視された。その為、都市地図については全て破棄され、後に大幅な書き直しを迎えることになる。

制作第1期(2012年10月~同年12月、都市地図と大積県周辺の原型制作期)

区分け確定の後制作範囲は北上を続け、10月上旬には橋塚県(当時)の県都である酒島市へ到達する。一度酒島市とその周辺のみの地図が制作されたが、スケール感がまだ未熟であり不自然な点が多かったことから破棄され、その後当初から描いていた大積県の北への続きを延長する形で10月10日に酒島市の2度目の描画が行われた。その時は酒島市内の交通網やショッピングセンター、観光地の描写がなされているがそれらも設定見直しにより多くが現在没設定となっている。

10月12日には地図上に反映されない設定(市町村人口の一覧など)を纏めたExcelのファイルが初めて作成され、2015年5月ごろまでは加筆修正が続けられた。後述のデータ損失後は暫くそのようなファイルは存在していなかったが、2016年1月ごろからの東日地方再測量を機に再びファイルが作成されることとなった。

10月上旬は特に地図の制作が活発な時期であり、北上を続けると共に、それまで描いていた地形図風の地図ではなく市販の道路地図を模した形式の地図の試作もこの頃開始された。 10月7日には多奈崎市北部の広域地図がPhotoshopで制作され始める。「既製の地図の体裁をとり、少しでも現実にありそうな見た目に近づける」という方針はこの頃決定づけられた。

既製品を模した地図の試作がひと段落すると酒島都市圏の制作に重点が置かれ始め、10月13日には交通網をまとめた詳細な地図が完成する。しかしながらこの版においても制作後の加筆修正が繰り返し行われ、当初の設定が現在残っているのは酒島駅の場所が変わっていないだけである。また同日橋塚県(当時)の市町村区分けが確定する。これも設定の変更は行われたが、大積県ほど大胆な変更は行われておらず、特に県南部の区分けはほとんどが温存した。

翌日の10月14日には当Wikiに掲載するための基本情報が練られ、この日1日のみで暫定的な日出国国旗が制定された。しかしながらこれ以降正式に国旗が設定されたことは2017年8月現在ではなく、この暫定的な国旗が継続的に使用されてきた。またWikiの編集にあたり橋塚周辺の県名も定義されることとなった。

10月後半になると地図の新規制作も一段落つき、Wikiの編集が主だったものとなる。半月ほど新しい地図の制作は途絶え、10月31日に長海県全域の地図が制作される。 その後は都市地図の制作に主軸を置きはじめ、酒島市近郊の街である稲田野市を皮切りに、いくつかの街の詳細地図がPhotoshopで制作されることとなる。しかしながら、ラスタデータでは地図のような膨大なデータを取り扱うのにふさわしくないとの考えは既にこの頃からあり、ベクタデータへの移行を検討しながらラスタデータでの制作が続けられていた。

制作第2期(2012年12月~2013年9月、Inkscape導入後)

2012年12月、Ranoはフリーソフトでベクタデータの取り扱いが可能なInkscapeを導入し、ベクタデータ形式での地図の制作が開始されることとなる。2013年1月3日には酒島市街、同12日には作中に登場する別の都市である坂洗市中心部の制作が行われるも、Inkscapeの操作に不慣れだったことや詳細な都市の構造の未理解からいずれも完成を待たずに制作が中断されている。またこの頃はPhotoshopでの地図の制作も未だ行われている状況であった。2013年1月2日には日出国のウェブサイトが、日出国の設定が体系的に掲載される場として開設された。

2013年1月中旬以降は実際の街を視察することが多くなり、地図の制作スピードは比較的鈍化する。次に制作が本格化したのは同年4月下旬で、東日地方ではなく首都圏地方の描画が開始され、中でも「甫城市」の都市地図はラスタデータとしては初めてA3サイズ1枚分が書き上げられ、「完成」を迎えた。同図はウェブ上でPDFデータとして公開されることとなる。ただし、この頃描かれた首都圏地方の図は全国的な設定の見直しや、甫城市の地図データ破損により加筆編集が不可能になったことから設定としては全て破棄されてた。しかしながら甫城市都市地図制作の段階で制作された地図記号やコンビニのロゴは、修正が加えられながら現在に引き継がれている。また甫城市で蓄積したラスタデータでの都市地図制作のノウハウはその後制作される地図に大いに生かされているとされる。

甫城市が一応の完成を見せると2013年5月21日多奈崎市都市地図のリメイクが開始された。この図は現在でも編集が続いている地図データとしては最も古いものである。同図は1万分の1都市地図の体裁で、それまでラスタデータで制作していた多奈崎市都市地図とは全く関係ない白紙の状態から制作が開始された。それ以降日出国の制作はしばらく本地図の加筆修正のみとなり、2013年7月ごろまで継続的に更新されることとなる。

またベクタデータでの地図制作に慣れるという目的から東日地方の広域地図もベクタデータでリメイクがされ、日出国ウェブサイトでPDFデータで公開された。

2013年6月ごろからは地図だけでなくロゴ・デザインの制作もInkscapeで数多く行われるようになり、同時期には多くのロゴやショッピングビルのフロアガイド、さらにはラジオ番組表等非常に多くのものがInkscapeで制作され、デザインに関する試行錯誤が繰り返された。この頃Twitterでファッションブランド名の公募なども行い、複数人参加型という方向性が現れ始めた。またPhotoshop時代に制作された珠屋百貨店などいくつかのロゴもトレースされ、ラスタデータとして保存された。

このように精力的な活動がなされてきた一方、翌年3月にRanoは高校受験を控えており、これまで受験勉強と並行して制作がされてきたものの、受験まで半年を切り日出国制作から1年が経った9月下旬に一旦制作を休止した。また同時にネットでの活動休止も公言された。しかし実際にはその後も僅かな時間で細々と制作が行われ、インターネットでもtumblrのみ稼働させている状況が続いていた。

制作第3期(2013年11月~2014年4月、都市地図体裁の見直しと一時制作休止)

受験と並行した活動が続けられる中、2013年11月には酒島市を舞台とした新たな都市地図の製作に着手。この図では地図上に置かれる文字や記号のサイズが既製品の地図とほぼ同様の物に揃えられたほか、色についても見直しが行われ、より既製品に近いデザインでの制作が行われることとなる。同図は2014年3月ごろまで継続的に加筆修正が続けられた。

高校受験が終了すると日出国制作の頻度は再び上がり、また2014年3月16日には東京・台場で開催された空想地図をテーマにしたイベントへのゲスト参加や、架空地図学会への復帰などに伴い制作地図がより大勢の人の目に触れる事となり、更なるクオリティ向上が求められた。

そのような中、酒島市の加筆修正が行き詰まり、編集は再び多奈崎市の都市地図へ戻る事となる。3月21日、多奈崎市の地図データから文字・ロゴのデータを全て削除し、酒島市の地図に準拠したデザインに改められた。

しかしながら中学卒業以降、卒業旅行や高校準備等で多忙になり、また高校入学以降はRanoの周辺環境が大きく変化し、生活の主軸がほぼ高校に移ると共に日出国の制作は一時的ではあるが休止された。

2014年8月、夏季休暇中の暇潰し、気分転換の目的から地図の制作が再開。またあるきっかけから本作が高校の同級生の目に触れ、徐々に日常生活と地図の制作が同化すると共に制作の頻度が再び上昇。日出国の更新が再び活発化することとなる。

同時期に日出全国の大まかな地図が制作され、東日地方からは離れた州東地方へ描画が進出。全国地図の制作により東日・北道・州東の3地方の名称が決定された。

しかしながら多奈崎市の編集が進むと共に、フロアガイド等地図以外の制作が本格化。日出国サイトも多奈崎市中心部の描写に絞ったものにシフトしていくこととなった。

2014年12月頃は多奈崎市の都市地図が停滞し、北洋州へ制作範囲が北進。同月30日には久井市の制作が開始される。

2015年1月に入ると全国地図の作り直しが行われ、一部古い設定を継承しながらも新しい全国地図の設定が作られた。

2015年5月上旬には妻上県の手書き広域地図(1:800,000)が制作された。この地図は手書き(1:4,000,000)→PC(1:800,000)→手書き(1:800,000)と一度パソコンでのトレースを経てから再び手書きをするという初めての方法が取られた。

2015年5月13日、いばらの研究所データ損失事故が発生。多奈崎市をはじめとする地図のsvgデータや市町村の人口・面積統計等、日出国の地図・設定資料類の多くが取り出し不可能に陥る。幸い、多奈崎市・久井市の地図データはPDFファイルとしてUSBに保管してあったためにベクタデータでの地図の消失は免れたものの、PDFからSVGへ変換する作業等で多くの時間を費やされることが予想される。また当時東日地方全市町村の人口・面積データが当該マシンに入っておりバックアップが無いため、当Wikiに掲載されていない統計データ等はすべて設定し直しとなった。

制作第4期(2015年5月~2017年5月、データ損失事故後)

データ損失事故後、それまで着手していた地図データの編集は一度休止となり、未着手だった領域における手書きでの測量が開始された。 またそれに応じて、前述のデータ損失事故を免れた広域地図が、縮尺を1:400,000に変更のうえで再製作(再測量)が行われるようになり、それに基づいて統計データの作り直し等も行われている。

2015年6月1日にはウェブサイトを一新。多奈崎市に焦点を置いた構成に変更され、「日出国プロジェクト」の新たなスタートを印象付けた。

2016年になると、Ranoが今度は大学受験を控えることとなる。高校受験時のようなインターネット上での活動休止体制は取られなかったものの、当時生活そのものが多忙を極めていたこともあり地図や関連創作の制作は第4期までのような速さではいかなかった。2016年9月30日には、ウェブサイト上に広域地図の一部が最測量開始後としては初めて掲載されることとなった。

制作第5期(2017年5月〜2020年3月、Macbook・Illustrator導入後)

2017年5月、制作環境として新たにMacBook Pro(2016)とAdobe Illustrator CCが導入され、作業環境の移行が行われた。2017年7月31日にウェブサイトに追加された「多奈崎エアリ」の空想フロアガイドは、初めてIllustrator上で制作された作品である。

多奈崎市の1:10,000都市地図はもともとInkscapeで制作されていたSVGファイルだったが、これを移行する際に多奈崎市都市地図に関しては広い範囲での「描き直し」決定。中心市街地を除くほぼ全ての範囲が1から描き直されることになる。例えば多奈崎駅の北側の部分は、それまで平坦(という設定)だったものが台地に変更され、これに伴って比内線崎北道路など一部交通網の経路が大幅に変更されるなどの変更があった。(これに関しては、作者が比較的平坦な松戸市から、より地形の起伏が激しい八王子に引っ越したことも関係していると考えられている。)またこの描き直しで、多奈崎にあるとされていた大型ショッピングモールの場所が1箇所確定し、さらに前述のデータ損失事故により消失した市内南部も再び描画が開始されたことにより、2つ目の大型ショッピングモールの場所も確定する運びとなった。

2018年4月ごろからは日出国の全国図の製作を再開。ほぼ設定が固まっていた東日地方や初岡県妻上県を除き、大地形の設計が1からやり直される形となった(ただし国内第2の都市が「上月市」であることなど、地形に関わらないごく一部の設定については温存された。)。この"描き直し"により、日出国がひらがなの「し」のような弓なりの形状であることがほぼ確定した。またこれまで首都の名前は、古い首都から見て西にあることから「西都市」とされていたが、設定見直しによってこれが東になってしまったため、「東都市」か「東新市」などに名前を変更することが検討されている。

翌2019年になると、空想地図を提げて2月開催の「マニアフェスタ」への出展参加が決定。マニアフェスタを始めとしたイベントなど外部への露出が急激に増加した年であり、地図の質量双方の増加があった年となった。

最初の出展は同年2月にあり、この際にA1サイズの大判印刷地図の制作が初めて行われ、実際に販売が開始される。地図以外にも、フロアガイドや番組表など多奈崎関連創作の製作も行われ、イベント出展の機会が増えるにつれ、多奈崎関連の創作物が増加することになった。また10月以降、るたによる政治関連の考証が開始。本作の設定に関して継続的に参加する人物が登場するのは初であり、これに伴い多奈崎市や大積県の、特に曖昧であったり作りかけになっていたりするような設定に関して、情報共有のために固める必要が生じた。結果、多奈崎周辺の広域地図の作り直しや大積県内の自治体、郡名などに関する見直しが行われた。

地図本体の進捗としては、2月の初版大判地図制作時にA1サイズ一枚分の制作が完了。以降は微細な体裁変更(掲載範囲の変更やアイコン等の色味調整)や、経時による事物の変化(例:多奈崎フロムの閉店が「第6版」から「第7版」にかけて反映されている)など細かな修正が加えられるも、創作のメインは地図本体よりそれに付随する創作物といった状況が続くことになる。

制作第6期(2020年3月~、大幅な設定見直しと描き直し)

2020年の4月ごろから新型ウイルスの流行が顕著になると、実際の都市への訪問が困難になり始めたため、それまであまり重点を入れて行われなかった「多奈崎市」の設定や地図に関する歴史的考証に力が入れられることとなり、複数の書籍の購入や文献調査、複数の地理に詳しい知人を交えた検討会議など、情報収集や調査が活発に行われるようになる。これに伴い、多奈崎市や周辺地域のみならず、多奈崎市の存在する日出国の地勢について大幅な設定の見直しや考証が行われ、詳細都市地図の大規模な描き直しが検討されるに至った。多奈崎市中心部についても、城の移動や地形の変更を伴う、リアリティ向上のための抜本的な描き直しの機運が高まっていた。

かくして2020年前半を中心にインプットに軸足を置いた調査が行われたが、地図の描き直しが着手されるにはなかなか至らず、逆に感染拡大がやや落ち着きつつあった同年後半は中部地方を中心に関東から遠すぎない地方都市への訪問が活発に行われた。卒業論文執筆からの現実逃避の意味合いも少なからずあるとはされているが、長野県や新潟県、群馬県などの諸都市を毎週末のように巡るなど実際の街の訪問が相次いだ期間ののち、2021年に入るといよいよ卒論提出や発表、そして同年4月の就職などを控え、地図の活動は停滞期に突入する。

主宰が社会人になり半年ほど経った2021年9月ごろ、ようやく多奈崎市の地図の手直しが開始される。しかしながらその内容については、2020年初頭に考えられていた抜本的な描き直しというよりは寧ろ、作者本人の感じる違和感が大きすぎる箇所を直し、その辻褄が合わない場所のみの最低限の修正という趣旨が強いものとなった。これについては、地理的・歴史的な考証は突き詰めればキリがなく、また恐らく緻密な考証を経て多奈崎市の詳細地図がその形を大きく変えてしまう可能性があり、それは果たして2012年より作り続けてきた「多奈崎市」である必要があるのか(いわゆる「テセウスの船」)、という点において作者の中で疑問が生じていたという要素が大きくあるとされる[4]。また2019年のマニアフェスタ出展以降いくつもの多奈崎に関するグッズを制作・販売しており、街の形が変わりすぎると今まで制作したグッズと地図の内容が大きく乖離してしまう点も懸念された。こうした経緯から「今の図を大きく変えない範囲で多奈崎のメインの川(宮岐川)流路を自然に」する修正が行われることとなる。

但し、「流路の変更」はそれによる微地形の変更が想定されたことから、これまで中心市街の南側にあり大手門が北向きだった多奈崎城を、市街の北側にあり大手門が南向きというこれまでと全く逆の位置に移動(しさらに回転させる)という、決して小さくはない地図の変更もこの修正にて実施された。本通および水然院通りといった中心商業地地区の形をほぼ変えることなく(これは既にこの地を題材にしたグッズを展開しているという前述の理由)、同時に流路の変更とそれに伴う周辺の辻褄合わせを両立させるという必要条件から「城の移動」に至った訳であるが、想定以上の地図の大規模修正となってしまったこともあり次第に修正作業は停滞。2022年に入って暫くほぼ放置されるも、同年4月に数年ぶりリアル開催となった「マニアフェスタ」での出展やデイリースポーツ系Webメディアへのインタビュー掲載、更に9月末には世田谷に「地理系ブックカフェ『空想地図』」が開店し"同業者"との交流が俄に活気づいたことなどから作者のモチベーションが徐々にではあるが再び上昇に転じ、この描き直しの続きが行われ始めた。

制作と並行して、コロナ禍の段階的な収束に伴い、リアルなイベントへの出展などの機会も増加、再び対外的な活動が活発化。2022年にはWebメディア、2023年には神奈川県のラジオ局であるFm Yokohamaへの出演があり、その他にも前述のブックカフェをはじめ、名古屋や福岡の実店舗において、空想地図や関連創作の取り扱いが開始されるなどの変化があった。

2023年8月頃になると、前述の詳細都市地図の描き直しが再開。引き続き断続的な活動が続いている。

「多奈崎市」の位置づけ

本プロジェクトで一番最初に描かれた街ということもあり、大積県多奈崎市は日出国で最も”古い”街である。そのことから、本作の描写範囲や設定が進行するにつれ、街の設定や位置づけが大きく変化してきた。

2012年8月、日出国の全体像、設定がなされるよりも以前に、「日出国のどこか北の方にありそうな」「中堅地方都市」として多奈崎市の製作が開始された。前述の通り、当時作者のRanoは九州旅行を終えた直後であり、地方都市としての多奈崎市のイメージ像(特に人口や人口密度・商業集積といった都市規模)は当時訪れた九州地方の影響を受けざるを得なかった。多奈崎市は県庁所在地として描かれたことから、なかでも九州の県庁所在地で、且つ地方中枢都市の福岡市を除いた(多奈崎自体が五大都市圏の中枢都市を想定してはいなかったため)ある熊本市・長崎市・大分市や、西日本各地の県庁所在地を参考にしつつ製作されるに至った。(実際、珠屋百貨店の当初のモデルは熊本市の鶴屋百貨店であるほか、2014年段階で多奈崎市の経済規模は鹿児島市と同等なものを想定しているとの言及がある[5]。)

しかしながら、当時は意識していなかったが、日本の地方都市、特に県庁所在地の都市規模は北海道・東北地方などの東日本一帯と、中四国・九州地方等の西日本一帯では都市規模が異なり、西日本の各都市の方が若干だが人口集積の大きい都市が多い。日本でいうところの東日本エリアの都市として(=高緯度地域にある一地方都市として)漠然と製作された多奈崎市であるが、西日本を参考に製作を進めた為、多奈崎は立地の割に人口規模が大きい都市になってしまったのである。(ちなみに2012年当時の多奈崎市の人口は60万~70万と想定されており、九州では熊本市・鹿児島市クラス。東北は最大都市の仙台が約120万人だが、その次に大きいいわき市は約30万人であり、当時の多奈崎のような規模の都市は存在しない。)そもそも当時は、多奈崎市が東日地方で何番目の都市規模・都市圏規模を有する町で、日出全国から見たらどの程度の規模になるか、といったマクロな位置づけは全くされていなかったに等しい。

この原因の一つとして、そもそも作者Ranoの旅行歴が、2015年に入るまで西日本方面に偏っていたことが挙げられる。親戚や親の実家が関西方面にあり日ごろから西日本方面への旅行の機会が多かったことに加え、2012年8月と2014年4月の2度に亘る九州旅行、また2015年5月には四国地方への旅行を実施した一方、北海道・東北をはじめとする東日本方面への旅行は当時、2009年(当時作者小学5年生)に宮城県仙台市を訪れた以外が全くなかった。このことから、東日本に関しては実際に足を運んで現地の雰囲気や都市規模を把握する機会がほぼ無かったのである。加えて、作者の地理的知識や都市規模の感覚も多奈崎市を現在より大規模な都市にしてしまった大きな要因である。現に、それら架空地図描写における"スキル"の獲得が進むにつれ、多奈崎市の設定は徐々に"修正"が加えられていくことになり、2013年には62万だった人口は2014年には約54万人に変更された。

多奈崎市の都市規模を見直すきっかけになったのは、2015年9月に行った作者の東北旅行である。久慈市・八戸市・青森市などを訪れたこの旅行は作者にとって初めて東北地方の地方都市というものを体感・理解する機会となり、東北に目を向け検討する機会になった。この頃、多奈崎市は東日地方2番目の地方都市として位置付けられており、それに相応しい規模の繁華街とそれを支える人口規模のバランス、例えば商業施設数や繁華街、都市の広さのようなものと自治体人口のさじ加減・感覚は、人口約20~30万を有する八戸・青森両市の訪問によってより洗練されることになった。地方都市訪問の経験増加に伴い、熊本・鹿児島のような60~70万都市に大きく影響されていた作者の中の「地方都市像」が徐々に幅広くなっていったとも言える。

またこれ以降も旅行の機会を重ね、2019年ごろには多奈崎市の位置づけも「東日地方2番目か3番目」で「都市人口およそ35万人」「都市圏人口54万前後」に定められ、詳細都市地図の描画もこの位置づけを踏襲して描かれることになった。

年表

  • 2012年8月 - 日出国草案が出る
  • 2012年9月22日 - 地図トレース(Photoshop)開始
  • 2013年1月3日 - 日出国サイトオープン、地図トレース(Inkscape・試作)
  • 2013年5月 - 地図トレース(Inkscape・多奈崎市地図)開始
  • 2013年7月25日 - 一部地図公開
  • 2014年2月10日 - 多奈崎市街のPDF図を公開開始
  • 2014年11月5日 - スクロール地図公開開始
  • 2014年12月29日 - 久井市都市地図に着手。
  • 2015年1月16日 - 全国地図の制作を開始。
  • 2015年5月11日 - スクロール地図更新。地図上にピンを置き、地点の情報やWikiへのリンクなど地図上へのタグ付けを初めて行う。
  • 2015年5月13日 - いばらの研究所データ損失事故発生。人口統計等多くのデータが消失する。制作環境を2代目PC(Fujitsu Lifebook AH42-G)へ移行。
  • 2015年8月26日 - 多奈崎市の概要をまとめた1つのページとして「多奈崎市について」を初公開。
  • 2015年9月22日 - 日出国制作開始3周年
  • 2016年9月30日 - 最測量後、初めて広域地図が公表される。
  • 2016年11月21日 - 当時有していたibrn.netのドメインが不手際で失効。日出国サイトは別ドメイン(mosha2.jp)下にあったため直接影響は受けなかったものの、ibrn.netのメールを利用していたお問い合わせフォームが暫く機能しない事態に。
  • 2017年7月31日 - 制作環境を3代目PC(MacBook Pro 2016)へ移行後、初となる作品を発表
  • 2018年5月27日 - サイトリニューアルを機に、多奈崎市都市地図を更新。
  • 2018年7月26日 - それまでスクロール地図の作成に使用していたWebサービス「tagraa」のサービス休止に伴い、JavaScriptライブラリのPolymapsを用いた自作のものに変更。
  • 2018年10月27日 - スクロール地図に使用するJavaScriptライブラリをPolymapsからLeafletJSに変更。
  • 2019年2月7日 - 多奈崎市詳細都市地図第4版発行。大判の紙の地図として出力するのはこれが初。初めての発行であるにもかかわらず「第4版」となっているのは、これ以前に制作された地図(Photoshopで作成された最初の都市地図、Inkscapeで2012年ごろから制作開始された地図、さらに2015年のデータ損失事故のあとで作り直されたものの3つ)をそれぞれ第1〜第3版としているためである。
  • 2019年2月16日 - 東京・秋葉原のアーツ千代田3331にて開催された「マニアフェスタ Vol.2」に、「中村市」作者の@chi_ri_jinと共に出展。都市地図やタウンガイドなどを販売。
  • 2019年4月15日 - 多奈崎市詳細都市地図(第5版)発行。微細な測量修正が反映されている。また多奈崎市周辺の広域地図を再作成、同図をベースとした「多奈崎市観光マップ」を発行した。
  • 2019年4月23日 - 東京・新宿にて開催の「マニアフェスタ×東急ハンズ 2019GW」に出展。前述の詳細都市地図(第5版)ん行くわえ、多奈崎市全域が描かれた広域地図なども作成されている。
  • 2019年4月25日 - ウェブサイトをリニューアル。サイト名を「空想地図・多奈崎」に変更し、サイト名と内容が明確に直結するものとした。
  • 2019年9月1日 - 東急ハンズ新宿店に設置された「くるくるマニアフェスタ」コーナーにて、都市地図などを9月30日まで1ヶ月間販売。
  • 2019年9月23日 - 多奈崎市詳細都市地図(第6版)発行。測量の修正のほか、道路表現など一部デザインの変更が行われ、さらに第5版までと比べて収録範囲が若干広がっている。
  • 2019年9月28日 - 「マニアフェスタVol.3」に"タナザキテ"として出展。
  • 2019年10月8日 - NHK教育テレビ(Eテレ)の番組「沼にハマってきいてみた」にて、空想都市「多奈崎市」の作者として取り上げられる。[6]
  • 2021年3月27日 - オンライン開催された「マニアフェスタVol.5」に"タナザキテ"名義で出展。対談や空想地図配信など実験的な企画を行う。
  • 2022年4月30日 - 幕張メッセで行われた「マニアフェスタVol.6」に"タナザキテ"名義で出展。
  • 2022年5月29日 - インターネットメディア「よろづ〜ニュース」にて『23歳で空想都市歴10年 「多奈崎市」の魅力を知っていますか 地方都市の喜怒哀楽を表現』と題し、本活動のインタビューが掲載される[7]
  • 2023年5月27日 - Fm yokohama「FUTURESCAPE」のゲストコーナーに出演。多奈崎市の地図などを紹介。

主な制作物

地図

Adobe Illustratorで作成されるデジタル地図。描かれる縮尺は1:10,000の都市地図が中心で、設定資料的に広域地図(1:400,000や更に小さい縮尺のもの)が描かれることもある。広域地図に関しては、多奈崎市のある大積県のものは概ね網羅されているが、その他の地域は断片的な制作に留まっている。

なお、地図のフォーマットに関してはなるべく現実の地図に寄せての制作を心がけているとされる。これは「地図」を制作することが目的だからと言う訳ではなく、既視感の想起によるリアリティの増強、すなわち一般的には「実在する土地を表す」地図に似たものを制作することで、「地図そのもののリアリティ」によってより実在しているように感じさせる、というのが大きな目的である。

2019年2月にはメインである多奈崎市の大判都市地図が、東京で開催されたイベント「マニアフェスタVol.2」にて、日出国関連のグッズとしてはもとより、Rano自身の創作物としても初めて、一般向けに実際に販売されることとなった。このイベントを皮切りに、地図や関連作品の販売が東京や名古屋で順次行われるようになっている。

現在作成されているもの

  • 都市地図(1:10,000)
    • 多奈崎市詳細都市地図 - 2013年5月~。「大積県」の県庁所在地という設定の街。メイン且つ、Ranoが最初に製作を開始した都市地図であり、現在も制作の主軸。昭文社の「スーパーマップル」や「街の達人」に近い図式を採用。2019年2月からはA1サイズの印刷用に加工したものが、実物の紙の地図として発売されている。
  • 広域地図(1:400,000ほか)
    • 多奈崎市観光ガイド - 多奈崎市内全域が広域で掲載されており、また今後新たに制作される予定の全国地図のベースになっている。
    • 全国詳細地図 - 2016年9月30日〜。 いばらの研究所データ損失事故以後の制作。上記「観光ガイド」をベースとした図版への移行に伴い、大積県以北に関しては今後更新されない予定。以南については未定とされている。

過去のもの

地図

  • 都市地図(1:10,000)
    • 多奈崎市(旧版) - 2012年9月ごろ。Photoshopにて作成。現存せず。
    • 酒島市 - 2013年11月~2014年ごろ。データの消失により編集不可能に。酒島市に関する設定の変更もあり、現在は公開されていない。作り直し予定。
    • 久井市 - 2014年12月~2015年ごろ。データの消失により、現在はtwitterを除いて公開されていない。
    • 駒崎市 - 2015年ごろ。twitterをのぞいて公開されていない。
  • 都市地図(1:5,000)
    • 手沢市 - 2015年ごろ。首都圏近郊にある街で、超詳細地図として実験的に作成。twitterのみで公開。
  • 広域地図(1:100,000)
    • 大積県南部 - 2014年4月4日~2015年5月。現在非公開。
  • 広域地図(1:800,000)
    • 東日地方全域 - 2014年2月3日~4日にかけて完成。完成後の設定見直しは反映されていない。
    • 首都圏広域 - 2019年11月ごろ[8]
  • 全国地図(1:4,000,000)
    • 全域 - 2015年1月~・手書き、東日地方の分に関してはトレースが行われている。未公開。初岡県より南側はパソコンで下書きから行われている。

地図以外の活動

商店街の街歩きガイドマップ、商業施設のフロアガイドや美術館の入場チケットといった紙ものを中心に、地図だけでは表現できない創作物の制作も行われている。

2019年1月から、多奈崎市内に存在する(という設定の)"コミュニティ・アート&カフェスペース"「タナザキテ」のtwitterアカウントが開設され、多奈崎にまつわるツイートを発信。作品としての空想地図世界の一部のみならず、多奈崎に住む人が主体となって運営する組織の窓口的役割として、メタ的に空想地図世界を現実世界に発信する窓口として活動している。

  • フロアガイド
    • 多奈崎エアリ フロアガイド - 2019年2月完成。ウェブ公開中。過去3回制作されている。
    • サティオモール多奈崎南 フロアガイド
    • 多奈崎フロム フロアガイド - 2016年と2019年版の2つを作成。
    • 珠屋百貨店 フロアガイド - 2019年作成。
  • ロゴ
    • コンビニエンスストアやスーパーマーケットなど地図上にアイコンとしてプロットされるもの、および大型商業施設のテナントとして必要な店舗などを中心に、順次作成が進められている。
  • ウェブサイト

制作者

本プロジェクトは主にRanoによる制作が中心だが、分野・部門によってはRano以外のクリエイターも参与している。

主要な制作者

Rano
主宰。日出国制作のメインの担い手。
るた
政治関係の考証・設定全般。日出国全体の政治関連の設定や、「多奈崎市長選挙」のシミュレーションなどを担当。
@onakasuitayo073
アートアンドカフェスペース「タナザキテ」や、アートワーク関係担当。

その他

複数の人物により、単発的に関連グッズや制作物が制作されることがある。(例:創作料理、ロゴ、店舗名など)

脚注

外部リンク