現想対称性

提供:Tanukipedia

現想対称性(げんそうたいしょうせい)とは、「想像地図・城栄」の裏設定、および描画時に課されてる制約の1つである。

定義

想像地図世界内に『現実の日本を架空地図として描く地図作者』が存在すると仮定した場合に、彼または彼女[1]が日本や地球を正しく思いつける・描けるような世界として想像地図を描画しなければならない

言い換えると「こちらが向こうを作る難易度と、向こうがこちらを作る難易度は、同じでなければならない」という制約である。

概要

想像地図には、「現実世界から見れば想像地図世界は架空地図で描き著された架空世界であるのと同様に、想像地図世界からみれば現実世界は架空地図で描き著された架空世界である」という裏設定(新山解釈)が存在する。この設定は、言い換えると「想像地図世界内に『現実の日本を架空地図として描く地図作者』が存在する」という意味である。

これを成り立たせるためには、想像地図世界内の架空地図作者は、現実世界を設定として同程度の難易度で正しく思いつくことができているという前提が満たされている必要がある。すなわち想像地図世界は、彼または彼女[2]が日本や地球を正しく思いつける・描けるような世界でなければならない[3]

また、現想対称性はこの「彼または彼女」と「想像地図の作者」の能力がほぼ同じであることも規定する。

なお、

  • 新山解釈は「想像地図世界内に『現実の日本を架空地図として描く地図作者』が存在する」という設定そのもののこと
  • 現想対称性は「想像地図世界内に『現実の日本を架空地図として描く地図作者』が存在する」と仮定した場合に生じる、制約や縛りのこと

であり、両者は全く異なるものである。

具体例

複雑さ

想界の「複雑さ」に関して考えてみると、彼または彼女にとっての現実世界(すなわち想像地図世界)の複雑さを模倣して(彼または彼女にとっての)架空地図(すなわち現実の日本地図)を描いているだろうと考えることができる。従って、(我々にとっての)想像地図世界は、彼または彼女が彼または彼女にとっての架空世界(すなわち現実世界)の複雑さを充分に模倣できる程度に複雑でなければならない。それゆえ、現実世界と想像地図世界は同程度の複雑さを持っている必要がある

非対称な駅名重複

非対称な駅名重複」が問題視されるようになったのも、この現想対称性に起因している。

並行在来線

想像地図には「整備新幹線並行在来線の経営分離」という設定が取り入れられているが、これについても、

  • 並行在来線の経営分離という制度のある世界にいる作者が、そのような制度がない世界を思いつく難易度
  • 並行在来線の経営分離という制度のない世界にいる作者が、そのような制度がある世界を思いつく難易度

を比較した場合に、両者には明らかな差があり後者の方がはるかに難しいと考えられるため、もし想像地図に並行在来線の経営分離という設定を取り入れなければ、想像地図世界内の架空地図作者は、おそらく現実世界の並行在来線の経営分離という"設定"を思いつけないだろう」という推論から演繹的に導かれれたものである。

更紗語の露出形と被覆形

嶽部・高部問題を参照

相殺(オフセット)の容認

現実世界と想像地図世界で地形が大きく異なるため、どうしてもある部分について難易度が異なってしまう場合がある。そのような場合、ある部分を現界の方が難しく、別の部分を想界の方が難しくする、という部分を質的・量的にも同一になるよう調整(オフセット)することが容認される。ただしその場合も「こちらが向こうを作る難易度と、向こうがこちらを作る難易度は、同じでなければならない」という趣旨に適うものであることが求められる。

よくある誤解

現想対称性の本筋は、「想界は、彼または彼女が正しく日本を思いつける世界でなければならない」という部分である。すなわち、現想対称性は、「発想主義」(=思いつける主義、思いつける化)である。

現想対称性は「裏設定」そのものではなく、裏設定を成り立たせるための制約である。

すなわち、「想界に架空地図作者が存在すること」を規定しているのではなく、「こちらが向こうを作る難易度と、向こうがこちらを作る難易度は、同じでなければならない」という制約である。

また、現想対称性は「想界に架空地図作者が存在すると仮定した場合に生じる、制約や縛り」のことだけを意味している。従って、(本当に)「想界に架空地図作者が存在するかどうか」に対しては何も定めないのである。それを定めるのは、新山解釈住岡解釈の領分である。

なお、現実と想界が「鏡映し・たすき掛け的」になるような設定が施されている事象については「現想たすき掛け‎」と呼ばれ、現想対称性とは別の概念である。

現実をそのまま模倣することを意味しない

この原則は必ずしも現実をそのまま模倣することを強制するものではない。「彼または彼女」が日本を正しく思いつけることが論理的に導出されるのであれば、現実と異なる設定を取り入れることは是認される場合がある[4]。ただし、「本当に彼または彼女が正しく日本を思いつけるか」はきちんと考察する必要がある。

例えば、並行在来線の経営分離が想界に存在するかに対する考察において、「たとえ想界の並行在来線は経営分離しないという設定にした場合でも、彼または彼女が特定地方交通線の3セク転換という例を新幹線の並行在来線にも応用することができれば、現実世界の並行在来線を経営分離する設定を思いつけるだろう」という旨の発言をした人が居る。しかし、この発想には「応用することができれば」という仮定が含まれている。想像地図の人は「応用することはできない」と結論したうえで、「もし想界の並行在来線は経営分離しないという設定にしたいのなら、現想対称性という制約には矛盾する。両者はトレードオフの関係にあるため、片方しか選ぶことができない。」という結論に至っている。

また、現想対称性がもたらす制約は「想界は、彼または彼女が正しく日本を思いつけるような世界でなければならない」という制約であって、現界と想界の平等性を規定するものではない[5]。一方で、現想対称性はこの「彼または彼女」と「想像地図の作者」の能力がほぼ同じであることも規定するため、現界と想界の平等性を規定しない一方で、現界の想像地図作者と想界の想像地図作者の平等性は規定する。このため、もし「彼または彼女」の方がクレバーであったならば、想界の並行在来線が経営分離されないような設定にしても、現界の並行在来線が経営分離される設定を思いつくことができるだろうという考え方は、「両界の作者の平等性を規定し、考察の難易度(および両者の能力)をほぼ同一と考える」という趣旨からして不可ということになる。並行在来線が経営分離される世界で、分離されない世界を思いつくことよりも、分離されない世界で、分離される世界を思いつくことの方が、明らかに難易度が高い。現想対称性が難易度の平等性を規定する以上、そうすることは不可ということである。

解釈の差違への対処

2019年11月24日に行われた第2回架空言語・架空地図学会後の会議により、現想対称性をどこまで考えるかについて想地研の各メンバーで解釈に差が出る可能性が指摘された。これについては、各メンバーに対応する「想界の人」を想定し、その人が正しく現実世界を設定として思いつけるかどうかの考察は各メンバーに任せるという方針が確認された。こうすることにより、設定を1つ考えるたびに確認を取るという煩雑さが解消されることが期待される。

名称について

現想対称性という名前は、「現実世界と想像地図世界に対称性をもたせること」という意味から名付けられた。

なお、かつては現想対称性という名称は「想界に想像地図作者が存在する」という裏設定も含意していたが、誤解が多発したため現在は描画規則(制約)のみに対する名称となっている。

他の作品における類例

例えば、歴史改変SFの「高い城の男」は「もし第二次世界大戦で枢軸国が連合国に勝利していたら」という内容の小説だが、作中に『イナゴ身重く横たわる』という歴史改変SFが存在し、その内容は「もし連合国が枢軸国に勝利していたら」というものである。しかし、あくまでも現想対称性は「そのように仮定した場合に生じる制約」のことであるため、本質的には全く異なる性質のものであると考えられる。

脚注

  1. 想像地図世界の中の想像地図作者の性別は規定されていない。
  2. 想像地図世界の中の想像地図作者の性別は規定されていない。
  3. 現想対称性の意義とは?
  4. 厳密に考えることが難しい場合、「現実の日本に存在しない要素を城栄に1つ取り入れるなら、現実の日本に存在する要素を城栄から1つ減らす」という方便が使用されることもある
  5. 現想対称性再考その2

関連項目

外部リンク