多奈崎美濃屋

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この記事では日出に関する話が記されています。この記事の内容は架空であり、現実の地名・人物・団体等とは一切関係ありません

「日出」は棘乃氏が作成している、架空の地図です。
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多奈崎美濃屋
Tanazaki Minoya Corp.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 大積県多奈崎市大工町1-11
設立 1950年6月1日
業種 小売業
事業内容 百貨店
代表者 山川直弘
主要株主 美濃屋森広百貨店 51%
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多奈崎美濃屋」は、実在しない架空の企業です。
実在の企業・人物等とは一切無関係です。

株式会社多奈崎美濃屋(たなざきみのや)は、大積県多奈崎市にかつて存在した日出の百貨店。M&Mリテイリングの連結子会社。

2017年3月20日に閉店した。

概要

1950年に多奈崎市で千田徳次郎、本村俊雄らによって設立された百貨店「千本堂デパート」をルーツとする。開業当初はすでに多奈崎で高い知名度のあった珠屋百貨店の後塵を拝す格好となり、戦後のベビーブーム期に衣料品や生活用品の廉価販売で経営を軌道に乗せるも、1960年代後半には経営が悪化、1969年には地元の実業家であった藤田公康を社長に招き、再建を乞うことになる。

会社の債務整理を終えたのち、藤田は同じ多奈崎市の本店に注力する珠屋に対抗し、ブランド力強化を狙った県内各地への多店舗展開を軸として千本堂の拡大戦略を本格化。屋号を「千本堂百貨店」に変更、県内外を問わず近隣各都市の既存店の買収や再開発事業へ進出などによる出店を進め、最盛期には5つの店舗と10以上の小型店を展開していた。また不動産、ホテルやレジャー施設などの関連事業も手がけ経営の多角化を推進した。1980年代には多奈崎市中心部に雑居ビルなど不動産資産を数多く有していた。その一方、宮本百貨店や伊津屋・トーヨーなど相次ぐ商業施設の出店で競争が激化する中、手狭な本店の売場拡張を1983年に計画するも地元商店会の反対に逢い一部頓挫するなど、好調な珠屋を横目に、多奈崎本店の売上は思うように振るわない時期が続く。

1990年代に入るとバブルが崩壊、多店舗・多角事業を展開していた千本堂の業績は急激に悪化。本業の百貨店で巻き返しを図るべく、多奈崎本店では地域一番店で高級品や贈答需要が高い珠屋百貨店に対し、若者・大衆をターゲットとした品揃えなどで差別化を模索。県内外各地にある支店もテコ入れを図り、モータリゼーション対応型の本格的な郊外百貨店として新月沼店を開業するなど県内各都市での囲い込みを図るも売上は伸びず、また乱脈な不動産投資なども仇となり2000年には債務超過に陥る。その後はメインバンクである東方銀行(現・東方大積銀行)の申請で産業再生機構の支援入りが決定。藤沢ら旧経営陣の退陣ののち再建プランが実行され、最終的には支援に参加していた企業の一つである上月市の百貨店「美濃屋」の連結子会社となった。

2004年に屋号を「多奈崎美濃屋」に改め新体制で開店するも、売上高は回復せず、店舗自体が老朽化を迎えていたこともあり、2016年10月9日に翌年3月での閉店が発表された。

店舗

営業を終了した店舗

  • 多奈崎美濃屋
    • 再建前の店舗名は「千本堂本店」→「千本堂多奈崎本店」。多奈崎電鉄市内軌道線の水然院停留場は「美濃屋前」(再建前は「千本堂前」)の副名称がついていたが、閉店後は副名称も廃止された。
  • 月沼店 - 地元・月沼資本の百貨店である奈畑屋百貨店を買収し、1972年開店。千本堂の第1号支店で、月沼の中心市街地である吉田町に店舗を構える。後述の新月沼店開店後は、同じ市内に2つの店舗を有する期間があった。1999年閉店。
  • 三濃店 - 1978年開店・1999年閉店。
  • 駒崎店 - 1982年開店の初の県外店舗。しかし中心街・郊外共に競合が激しく1989年閉店。
  • 石来店 - 1990年開店。モータリゼーション対応モデル店舗として大規模な無料駐車場を用意。地元密着型店舗として開店。1999年閉店。
  • 新月沼店 - 1997年開店。郊外型百貨店として開業するも、目標売上に届かず。2001年閉店。

関連項目

外部リンク

日出国サイト