古典リパライン語

提供:Tanukipedia
古典リパライン語
(古理語)
創案者 Fafs falira sashimi
設定と使用
話者数 不明
目的による分類
シアン大語族
標準語 エスペルタオ語
方言 ラネーメ方言、デーノ方言
表記体系 古リパーシェ、デュテュスンリパーシェ碑文体
公的地位
公用語 リパラオネ連邦、デーノ国、クワイエ共和国、デイシェス国、ユエスレオネ、デュイン総合府サニス県など
統制機関 ADLP、連邦少数言語保護機構、連邦理語学士院
言語コード
ISO 639-1 なし
ISO 639-3
消滅危険度評価
Vulnerable
  

古典リパライン語(古理:Ordo cuhklo'd lineparine, 理:Grocasionen lineparine)とは異世界ファイクレオネの言語の一つであり、シアン大語族リパライン語族に属する言語の一つである。古理語や単に古理と呼ばれることもある。

概要

古典リパライン語はリパライン語の一つであり、架空言語としてのリパライン語としては一代目と二代目を指す。この一代目と二代目はそれぞれリパライン語の歴史の中でも単語、発音、翻訳などが残っている最古のリパライン語である古代リパライン語(古理語, 古理:Ordo lineparine, 理:Penul lineparine)と現代リパライン語の文語の祖語となった中期リパライン語(中理語, 古理:Zaitojin'd lineparine, 理:Paltauxiaven lineparine)とリパライン語学上では呼称され、それぞれは区別されるが語彙の共通度などから単に古典理語、古理語と呼称されてきた歴史がある。これら古典リパライン語は直接的な現代リパライン語の古語に位置付けられるが当時の文法の情報の少なさや発音史料の少なさより、当時の感覚で正確に古典リパライン語を書き表すことは非常に難しく、作者も不可能であると発言している。

文化

成立過程と歴史

異世界ファイクレオネにおいては古代リパライン語はピリフィアー歴紀元前2000年前後からピリフィアー歴500年前後、中期リパライン語はピリフィアー歴600年前後から1800年前後で話されていた。古代リパライン語はそのピリフィアー歴紀元前2000年以前に話されていたリパラオネ人の言語であるエタンセンス語やリヴァライン語の方言をADLPがピリフィアー歴紀元前1998年の諸国崩壊による全国統一によって言語統一を図って成立した。ADLPによる教育推進によって認字率はアレス王朝・リパラオネ諸国のフレンティア時代とは打って変わって上昇し、各地の参政や政府広報の仕組みも整えられた。その成長の中で成立した古代リパライン語はADLPの全国統治を安定化させる上で作業言語の統一という状態を提供した。古典リパライン語はADLPのアディア言語政策研究所やリパライン語の特設された部署によって編纂されたが、この共通言語は各地がバラバラの母語を使っている状況で団結と共和を言語から始めようとするADLPのプロパガンダによって全国に広まったが、最終的に古典リパライン語はそのまま家庭内にも定着し、ピリフィアー歴紀元前1800年までにはそれぞれのリパラオネ人の民族語は古典リパライン語に入れ替わったとされている。ピリフィアー歴560年にADLPの統治は崩壊し、ファイクレオネ全体では古典リパライン語は緩やかな変化を続け、中期リパライン語に変化していくが、それでもリパラオネ人同士での会話では多少の方言差が出るほどであり、会話に不自由が出るほどの変化は無かった。しかし、ピリフィアー歴の1400年代から始まる独立国家戦争時代では、各国がナショナリズムにより強硬的な言語政策を行なったことによりそれ以前の言語体系は崩壊し、再度中期リパライン語はそれぞれ分離し始めるがユエスレオネへの居住地の移行により、移行を先導したリパラオネ連邦の中期リパライン語方言が中心となって、またラネーメ系の言語による影響を強く受けて採集的に古ユナ語に変遷し、現代リパライン語に至る。

現代の古典リパライン語

xelkenが古典リパライン語の存続を目的として行なったデュイン・シェルケン政権による拉致被害者の後継であるユーゲ系デュイン人二世や穏健派xelkenの連邦におけるコミュニティが現存していることから現代においても古典リパライン語は死語になったとはいえない。しかしながら、それぞれが古代リパライン語および中期リパライン語の規範とする方言に影響を受け、経年変化もあるため口語においては特に古代ファイクレオネで話されていたリパライン語と全く同じであるとはいえない。xelkenを除く古典リパライン語のコミュニティには古典リパライン語よりも現代リパライン語を子供に使う傾向があり、例としてデュインのユーゲ人古典リパライン語コミュニティはデュイン解放後から年々減り続けている。

文法

音声

古代リパライン語における音声の全容は未だに良く分っていないというのが調査結果である。なぜならこの時代の発音表記は厳密ではなく、また音声資料で残っているものであっても発音の揺れがある。例えば中期リパライン語では[mino]と発音されたものが、古代リパライン語では[maʲno]であったりする。PDIC版古典リパライン語辞書の発音は記憶上の古代リパライン語発音に沿って表記されているが、それは綴りと発音が対応しない場合が多く、中期リパライン語では統一化された[1]

語順と疑問

平叙文の語順は古代リパライン語においてはSVO、中期リパライン語ではSOVであった。この中期リパライン語のSOV語順はそのまま現代リパライン語の文語の一般語順となっている。形容詞はAN語順であり、現代リパライン語のような形容詞の修飾方向を変える仕組みは持っていなかった。否定は古代リパライン語、中期リパライン語でも現代リパライン語と同じくnivを動詞の直前に入れる方式で表された。古代リパライン語では疑問を表すために語順をVSOにする必要があったが、中期リパライン語までにそれは廃れ、現代とほぼ同じ体系になった。ただし、疑問の文法動詞velloを使っていた期間もあった。

代名詞

代名詞(単数形, 古理語)
主格 与格 対格 向格 属格
一人称 mi min mis mine mino
三人称 si sie sio an am
二人称 co cv as gs hj
不定人称 dj hu sgs jfu lgu

古代リパライン語の代名詞は、格で人称代名詞が屈折した。古代リパライン語の初期の時代にはこれらに接辞-s(現代リパライン語の-ssに当たる)を付ける事で数を表していたようである。しかし、中期リパライン語に近づくにつれ代名詞は数の文法カテゴリーを持たないようになった。

代名詞(単数形, 中理語)
主格 与格 対格 向格 属格
一人称 mi mi'c mi'i mi'l mi'd
三人称女性 ci ci'c ci'i ci'l ci'd
三人称男性 si si'c si'i si'l si'd
二人称 co co'c co'i co'l co'd
不定人称 dj dj'c dj'i dj'l dj'd

中期リパライン語の代名詞は古代リパライン語とは変わって屈折が消滅し、普通名詞の格変化と変わらない現代リパライン語と同じような体系になった。また、三人称の女性形と男性系が分離してできた。不定人称は格語尾が付いたか、そのまま古代リパライン語の屈折を残したかは記録に残っていないため、屈折が残っていた可能性もある。また一人称属格のminoは向格のmineと混同され中期リパライン語ではどちらの語形も属格で使われていた可能性がある。

普通名詞の数と格

古代リパライン語においては-s、中期リパライン語においては-ssがf普通名詞の複数の標識として使われた。古代リパライン語においては普通名詞では格と複数が共起したときどのように書かれたかは分っていないが、中期リパライン語や現代リパライン語と同じ形式だとすると-s-格語尾であったと推測できる。中期リパライン語においては複数接辞が先行して後に格接辞が来る現代リパライン語の形式と同じだったと思われている。

単数(古理語, 中理語) 複数(古理語) 複数(中理語)
主格 -'s (-s's) -ss's
与格 -'c (-s'c) -ss'c
対格 -'i (-s'i) -ss'i
向格 -'l (-s'l) -ss'l
属格 -'d (-s'd) -ss'd

古代リパライン語における属格は無標である場合もあった。また、中期リパライン語における主格語尾と対格語尾は現代語と同じように省略が許可された。与格と向格は中期リパライン語の末までに混同されるようになった。

中期リパライン語のアリスの一文目のように属格を使って共格を表す表現法があった[2]。中期リパライン語では-'iは後ろに名詞が続くと~をもった、内包したという意味を含み、また、-'dを明示しないで修飾する名詞連続が直接目的語であったとき格一致が起こった。

時制と相

初期の古代リパライン語では助動詞のill(未来), cor(過去)で時制を表していた。中期の古代リパライン語においては動詞がある場合は、動詞に活用語尾が膠着して時制を表した。この時代では現在進行以外のアスペクトはついては補助動詞を使っていた可能性がある。

一人称 三人称 二人称 不定人称 普通名詞
現在進行 hing

ning

asa

sa

ball nall vall
過去 ving

fing

dsa

sad

all noll fall
未来 cling

ling

vfa

fav

call null gall

それぞれ一人称と二人称の語尾が二つの形式を持っていたがどのように使い分けられていたかは良く分っていない。これについては使い分けの規則が無かった可能性がある。

等式文では活用語尾は用いられず、もっぱら文法動詞(現代リパライン語における助動詞)のEdiollとWiollによって時制が表された。

古代リパライン語の終期までに活用語尾が膠着することは無くなり、時制の助動詞だけが残り、後々相の助動詞(liaxa, liaxi, liaxuは現代リパライン語と同じであり、liaxeが将前を表した)が現れた。この表現方法は中期リパライン語を通して現代リパライン語にまで受け継がれた。

古代リパライン語の初期の受動態はSOVという構造で表される。古代リパライン語の中期から中期リパライン語までは動詞にvelを後置する事で受動態を表し、celで使役態を表した。また、時代は詳しくは分っていないが使役の文法動詞caieというものも使われた。

関係節

古代リパライン語の初期においては関係節は動詞をそのまま体言に前置することで表した。関係節の構造的に従属節の並びはSOVになっていた。ただし、古代リパライン語の中期から中期リパライン語の初期に掛けて関係代名詞としてlex (eo)が発達したが、中期リパライン語ではlexは前文引用として現代リパライン語のla lexと同じような役目を担うこととなり、古代リパライン語と同じような体系に戻った。

形容詞の級は古代リパライン語においては無かったとされている。しかし、体系的な級の体系が無かっただけで後置詞lerなどを使って擬似的に表していたかもしれない。中期リパライン語に入ってからは比較級wi-h、最上級we-hという形容詞を挟む形での体系的な級が出来た。

方言

古代リパライン語としては、デーノ方言とラネーメ方言があり、中期リパライン語としては東方方言ギャクツウェルド方言が有名である。それぞれは、古典的なリパライン語の方言として文学的、政治的な重要な役割を果たした。

脚注